謎に包まれた「鬼の棲む城」 

鬼ノ城

きのじょう Kino-Jo

別名:

岡山県総社市奥坂鬼城山

城の種別 古代山城(神籠石式山城)

築城時期

大和朝廷期

築城者

大和朝廷

主要城主

不明

遺構

石垣、水門、模擬門、建物礎石、柱穴

模擬西門<<2001年4月22日>>

歴史

詳細は一切不明。現在は、古代山城の一つであり、日本書紀、続日本記、等には記されていない城跡の 一つであり、築城時期は6世紀後半〜7世紀後半位頃、白村洪の戦い(669年)で唐、新羅の連合軍に敗れた大和・百済軍が、敵軍の本土襲来を見越して、九州大宰府付近の大野城をはじめ、西日本一帯にかけて築いた朝鮮式山城群の一つと推定されている(異説あり)。

桃太郎伝説の地、吉備。この主人公、桃太郎が大和朝廷から派遣された吉備津彦、鬼の方は製鉄技術に長けた渡来人、温羅(うら)だったと伝承される。そしてその温羅が立てこもって吉備津彦軍を迎えたのが、この鬼ノ城だというのが伝説の世界。

しかし現在では、上記のように大和朝廷の山城ネットワークの一部ではないかと言う説が有力です。ただ、昔の人々がここを鬼の棲む城だと思ったのは大いに頷けるところです。険しい山の尾根上に延々と続く砦、謎の石塁群、これらを見た民衆が鬼の仕業と思うのも無理からぬところではあります。かくいう僕も、第一印象は「ここは地獄か?」と思うような地形ですから。

高梁へ向かう途中、ヤケに目に付く「鬼ノ城」の道標。ついつい釣られて見てしまいました。これがなかなか良い。これまで見てきた中世中心の山城とは異なり、謎に包まれた古代の城ですが、荒々しい地形と尾根筋の傾斜を生かした築城は後世のお手本とも言うべきもの。しかし、道は険しく長い。広大な城域をとても全て見る時間は無く、ほんの一部だけの見学となってしまいました。

巨石が転がる急斜面を息を切らせながら登ります。 角楼と呼ばれる構築物と柱穴。さしずめ後世の城郭で言えば隅櫓台、というところか。

石塁。青空とのコントラストが、逆に妙にアノ世チックな雰囲気を盛り立てる。 建物群の礎石。礎石がきれいに一列に並んでおり、何らかの殿社があったらしい。

斜面の下から西門を見上げる。 これが神籠石式の石塁。黙って見せられれば戦国期の野面積み石垣とそんなに変わらない。

絶景です。気象条件がよければ瀬戸内海、四国まで見えるそうな。 遠景。所々岩肌剥き出しの荒々しい姿はまさに鬼の棲む城。

 

交通アクセス

岡山自動車道「岡山総社」IC車20分。

JR吉備線「服部」駅徒歩60分。

周辺地情報

岡山市方面であれば高松城、岡山城など。高梁川上流に向かうなら松山城はぜひ寄りたい。

関連サイト

 

 

参考文献

「羽柴秀吉 怒涛の天下取り」(学研「歴史シリーズ」)、「日本城郭大系」(新人物往来社)、「日本の城 ポケット図鑑」(西ヶ谷恭弘/主婦の友社)、「城と城下町」 石井進/山川出版社

参考サイト

 

 

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