安房里見氏と青岳尼オフ(2)

一日目へ

 

2日目:2003年9月28日(日) 晴天
■宿所(千葉県勝浦市)---->おせんころがし(千葉県安房郡天津小湊町)

【06:00】朝6時に目覚めると、少将さんと鷹取さんはもう起きて外を歩いていた。は、早い・・・。しかし、朝はめちゃくちゃ寒い・・・。窓を開けると、紺碧の海が眼に飛び込んできた。今日も天気は良好。豪華朝ごはんを平らげ二日目へ。「大多喜まつり」武者行列参陣の少将殿とはここでお別れでござる。

【09:00】「おせんころがし」の断崖絶壁。昔、父の強欲ぶりを諌めるために娘が身を投げたとも、代官に殺されそうになった父の身代わりとなった娘が投げ捨てられたとも云われる。ソレガシは三浦綾子の小説「広き迷路」でここを知った。あっ御台殿、転がらないで下され!

■館山城周辺・館山市立博物館---->館山港--->鶴ヶ谷八幡宮(千葉県館山市)

【09:50】館山城の周辺を散策。青空に聳える天守が美しい。城下のネコも人なつっこい。市立博物館では古戦場伝承地の情報収集、展示の謙信書状やら正木憲時木像やらを見る。と、ふと気づくとなんと鷹取さんが「鎧の体験試着」を!しかも大将級の大鎧!いやあ、大将、驚きましたよ(笑)。

写真特集:戦国武将・鷹取昭左衛門出陣の儀

【11:00】高嶋湊(館山港)は安房第一の商業港。いわば里見の財政を支える海運と海賊の大元締め。ここから眺める館山城も美しい。領域支配の城としてだけでなく、海城としての位置づけも見えてくるような気がする。と、鷹取大将、今度は超望遠レンズと三脚が出てきた!うむむむ、いろんなウェポンを駆使してますな!

【11:10】鶴ヶ谷八幡宮は里見義通以降代々が修復寄進を行っており、義通が足利政氏の武運長久を、義豊、義堯が足利晴氏の、義弘が晴氏、足利藤政の武運長久を祈願している。鎌倉鶴岡八幡宮に因んで、聖俗双方の権力を握ろうとする、戦国大名里見氏の支配を物語る。
■稲村城--->水神の森・鎌田ヶ淵・腰越の狐塚(千葉県館山市)

【11:40】稲村城周辺へ。稲村城は旧いタイプのお城ながら里見系の中でも抜群に面白い。さまざまな歴史と伝承を持つ、里見氏にとっても特別なお城である。今回初めて北側支尾根に行き、堀切(左)や土橋などを見る。素晴らしいです。 ただ、本丸が草むらになっていたのはちょっと・・・。

【12:40】ここから暫く、みなさんを付き合わせて個人の趣味に走り、「天文の内乱」古戦場と伝承地めぐりでござる。、
義豊の首を埋めたと伝わる「水神の森」(上左)、少ない手がかりをもとに何人かの地元民に聞いてようやく到達、感無量でした。義豊の介錯をした郎党、鎌田孫六が自刃する力もなく、敵もろとも滝川に身をなげたという「鎌田ヶ淵(上中)」。背後の丘は稲村城。そして最後の激戦地のひとつ、「腰越の狐塚」(上右)を見つつ、昼食は「道の駅三芳」へ。

■犬掛古戦場・里見義通および義豊の墓(千葉県安房郡富山町)

 

【14:00】「天文の内乱」最大の激戦地、犬掛古戦場。ここで義豊は敗れ、里見氏嫡流は滅亡してしまった。 古戦場には古びた石碑(上左)がポツンと佇む。中央の丘は戦国後期の里見氏の支城、「里見番所」だ。古戦場脇の大雲院跡には里見義通、義豊の墓(上右)がある。右が義通、左が義豊だという。 
■十三塚・滝田城・滝田の青墓(千葉県安房郡三芳村)
【14:30】ここも激戦地のひとつ「川又古戦場」、義豊方の十三騎を供養したという川又の「十三塚」(上左)。滝田城の直下にあり、平久里街道が両側の山に狭められ、またその地名の通り川が合流する切所でもある。上右は滝田城馬場。以前行った下滝田方面こコースとは別の、上滝田コースをたまたま見つけ、今回はこちらを通ったがこれが大正解、馬場、山麓の土塁など充実した遺構に歓声。下草も少なく、登山道も楽、これはオススメ。赤い展望台が建つ遠見山からは、「天文の内乱」激戦地が一望のもとに見下ろせる。

滝田城直下、平久里街道沿いの「滝田の青墓」(下)は里見忠義家臣の岡本頼重の墓と伝わる。乱破に襲われ落命したという。

■延命寺・里見氏歴代墓所(千葉県安房郡三芳村)
【16:00】「延命寺」の最大の見所は丘の上の、実堯・義堯・義弘の「後期里見氏代々の墓」。最後の当主となった忠義の次男、利通なる人物のお墓もあるということだが、わからなかった。
■石堂寺--->丸城(千葉県安房郡丸山町)--->平松城(千葉県安房郡三芳村)

【16:30】石堂寺は安房最古の名刹、かつ、青岳尼の弟、頼淳とその子頼氏が若き日を過ごした場所である。本堂と本尊は永正年間の建立で国宝。多宝塔の寄進者は大檀那・丸常綱だが、里見義堯はその供養の場で、先代国主としての義通と義豊を供養したという。事の成り行きとはいえ、嫡流を滅ぼしてしまった事への罪滅ぼしであろうか。

それにしてもこのお寺、城っぽいなあ・・・。

【17:00】丸城(左)は里見氏入部前の「安房四氏」のひとり、丸氏の居城。菩提寺である安楽寺後方の山だが、明瞭な遺構がないらしいので外側から眺めただけ。門前に「丸城主菩提寺」と大々的に銘打ってあるのが珍しい。

【17:20】通りすがりに見つけた平松城(右)は安西氏のお城という。頼朝が猟島に上陸して最初に頼ったのが平松城主の安西氏であったという。しかし、日没間近で真っ暗・・・。この暗さでは遺構の程度はよくわからなかった。
こうして、安房を巡る二日間は夢の如くに過ぎて行きました。ご参加のみなさん、ありがとうございます。ソレガシはとっても満足しています。

文責:越後ノ丸

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