世田谷区を走る、ちょっとローカル線の趣のある東急大井町線の九品仏駅を降りて、駅前の交差点を渡ると、緑に囲まれた浄真寺の長い参道が目に映ります。二十三区内とは思えないこの物静かな参道を5分ほど歩くと山門があり、その奥に大寺院の面影を残す浄真寺が佇んでいます。この周囲には今なお四至のはっきりした方形の土塁が残ります。この浄真寺が世田谷城の支城であった、かつての奥沢城の跡です。支城、というよりも家臣の屋敷という方が正確かもしれません。方形の居館としてはなかなか大きなものです。
奥沢城の見所は周囲の土塁はもちろんですが、なんといっても「鷺草」でしょう。この鷺草は浄真寺の本堂脇の池に群生しており、世田谷区の鷺草園になっています。この鷺草には哀しい伝説があります。曰く、「世田谷城主・吉良頼康には、家臣の大平出羽守の娘で常盤姫という美しい側室がいて頼康の寵愛を一身に受けていた。古くからいた側室がこれを妬み、常盤が不義を為したとあらぬ讒訴をしたため遠ざけられた。悲しんだ常盤は幼い頃から愛育した白鷺の脚に遺書を結びつけ、両親の住む奥沢城に放った。たまたま奥沢城附近で狩をしていた頼康が白鷺を射落としたところ、脚に手紙が結んであったので開いてみると常盤の遺書であった。頼康は驚いて世田谷城に帰館したが時すでに遅かった。白鷺の射落とされた場所からは一本の草が生え、やがて鷺にも似た可憐な花をつけた・・・」
この話にはいくつかバリエーションがあるようで、「天正十八年の小田原の役にあたり、世田谷城が囲まれて落城しかかったときに、姫が白鷺の脚に文を託して奥沢城の援軍を求めたが、奥沢城も包囲され、白鷺は射落とされた。その場所に咲いたのが・・・」というのもあります。鷺草はもともと田んぼの脇などの湿地に自生する草だそうで、かつては世田谷区のそこここでも見られたそうですが、いまやこの奥沢城など、数箇所くらいでしか見られないそうです。
奥沢城は九品仏の駅からだとあまり高低差もなくまっ平らに見えますが、周囲には緩やかな坂道があり、武蔵野の低地に突き出した低い舌状台地に位置していた模様です。決して要害地形と呼べるほどのものではなく、その構造からも「城」というよりは開発領主の館を想像したほうが近いでしょう。周囲の土塁は墓地造営などによって改変されている箇所もありますが、曲輪内から2m、城外の堀底だったと思われる道路からは3-4mの高さがあります。都心に程近い世田谷区であることを考えれば上々の残存度だといえるでしょう。
実はソレガシは数回ここを訪れていますが、いつも鷺草の季節の前だったり、散った後だったりでタイミングを逃しておりましたが、やっと花が咲いている姿を拝むことができました。とても小さな花ですが、その名の通り白鷺を思わせる可憐な花です。見ごろは七月から八月にかけて、くらいらしいです。都心に近いお散歩スポットとしても、オススメします。