佐野氏、居を移すも未完に終わる

佐野城

さのじょう Sano-Jo

別名:春日岡城、姥ヶ城

栃木県佐野市若松町(城山公園)

城の種別

近世平山城

築城時期

慶長七(1602)年  

築城者

佐野信吉

主要城主

佐野氏

遺構

曲輪、堀切

本丸堀切<<2001年12月15日>>

歴史

唐沢山城主・佐野信吉が慶長七(1602)年、春日岡に築城を開始、慶長十二(1607)年に居城を移した。慶長十九(1614)年、大久保長安事件とそれに伴う大久保忠隣の改易に連座して佐野氏は改易となり、佐野城は完成を見ずに廃城となった。

唐沢山城の帰りにちょっと立ち寄りました。はっきり言って全く期待していませんでしたが、市民公園になっている城址には、意外なほど良好な堀切が残っていてちょっと驚きました。また、佐野駅周辺からの地形が意外なほどの急崖になっていて、それなりに築城に適した地形であったことが伺えます。

唐沢山城の頁でも触れたように、佐野氏最後の当主・信吉はいわゆる豊臣系の大名からの養子で、唐沢山廃城後にこの丘に居を移しますが、築城なかばの慶長十九年に、大久保忠隣の失脚に連座して改易となります。大久保忠隣との関係がどうであったかはわかりませんが、当時の情勢を考えれば、この忠隣事件にこじつけて豊臣系外様大名の粛清の一貫だったのでは?と想像します。居城を移して以来、わずか7年にして、未完のままこの城は役割を終えてしまいました。

本丸南側の堀切。一番保存状態のいい遺構です。 本丸。市民の憩いの場ですが、風が強くて寒かったこの日、とうとう誰にも会いませんでした。。。

このあたりに石敷きの通路(虎口)があった。通路は埋め戻され、発掘された石をならべて遺構があった事を示しています。 本丸北の北出丸。下は急崖になっていて眺望は悪くない。本丸との間には堀切が残っています。

二ノ丸は普通の公園。「万葉の里・城山記念館」なるものが建っています。 児童公園化した三ノ丸。誰も遊んでいませんでした。。。

佐野駅に面した部分(多分大手門跡)付近では、発掘調査が行われていました。 佐野城の周囲は急崖になっています。城下町らしく、車一台がやっとの細い道がクネクネと曲がっています。

期待していなかった割には堀切の見事さには驚きました。まあ、佐野市内には「厄除け大師」などがあるため、あんまり有名な場所ではないし、遺構の規模もたかが知れていますが、徳川家の「外様いじめ」の現場として見てみるのも一興ではないでしょうか。

ちなみに厄除け大師近くの惣宗寺には移築現存門があるそうですが、僕は見逃してしまいました。

 

 

交通アクセス

「佐野駅」すぐ

周辺地情報

関東屈指の名城、唐沢山城を見ていって下さい。

関連サイト

 

 
参考文献 「日本城郭大系」(新人物往来社)、現地解説板、唐沢山城配布資料

参考サイト

 

 

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