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安房第一の商業港、高嶋湊(館山港)からみる館山城遠景。館山平野に屹立する標高75mの独立丘。近世城郭を建てるのにこれほどの立地がほかにあろうか?海城としての位置づけも見えてくるようです。 |
なんのかんの言っても、青空に映える白亜の天守の姿というのはいいものです。館山のシンボルですな! |
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もう一丁天守の姿。傾きかけた西陽を浴びた姿がまた美しいのです。ただ、この模擬石垣はアウトです。。。 |
本丸にある、「里見城跡」の石碑。でも「里見城」とはいわないよな。本丸は大戦中の改変で、7mも掘り下げられて、当時の地形は失われたようです。 |
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イマイチなパノラマですいません。右手の稲村城方面から大房崎、鏡ヶ浦、館山港、自衛隊館山基地。気象条件がよければ大島や富士山まで見えたのですが。狭く山間の地の多い安房にとってこれほどの要地がほかにあるでしょうか?なお里見氏在城時は海岸線はもっと近かったらしいのですが、18世紀初頭の地震による隆起で、陸地はだいぶ広がったようです。 |
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主郭の西側にはこのような馬蹄形の腰曲輪も見られます。こういうところが如何にも「お城」だっていう感じがしますね。 |
本丸のピーク削平の残土で埋め立てられたとされる通称千畳。二ノ丸だったらしく、発掘の結果、二十四畳程度の建物跡が見つかったとか。 |
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本丸のすぐ南にある尾根には、今はただの通路になっている堀切がある。 |
南側の入り江状の斜面上に段々に削平された通称厩屋。 |
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その脇の細い尾根上には馬蹄段上の小さな曲輪が連続する。うっ、中世城郭らしくなってきた! |
とうとう見つけた、大きな堀切。やっぱり尾根といえばこれでしょう(笑)。この東南の尾根が館山城の本当の意味での最後の遺構か・・・。 |
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城山に葬られた八人の忠臣の墓。里見八犬伝のモデルになったと言われています。 |
そして削崖。どこまでも無骨な戦国大名・里見氏の城であることを再認識。 |
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城下の「采女井戸」は家臣の印東采女の屋敷跡の井戸だといいます。オフ会のメンバーでお水を頂きました。 |
慈恩院に眠る里見義康の墓。義康は秀吉に上総を没収され、その子・忠義は配流によって、安房から南関東に名を馳せた里見氏は歴史の表舞台から消えてゆきました。 |
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慈恩院付近にわずかに残る鹿島堀。関ヶ原の論功行賞で鹿島三万石を加増され、その領民によって普請されたと言われています。この奥の泉慶院には青岳尼供養塔があります。 |
出城でもあった御霊山。 |
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その御霊山の周囲には空堀が残る。ここから館山城の駐車場方面にかけての農地には、よく見ると堀の名残が・・・ |
大多喜正木氏を嗣いだ里見義頼の次男、正木弥九郎時堯(二代目時茂)の屋敷跡という大膳山。 |