平林城2:加護山要害

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南北朝期の「加護山城」です。一応使われた期間は越後永正の乱くらいまで?とされています。しかし天文年間の伊達氏の侵攻、すぐ近くには同族の本庄氏が叛旗を翻した本庄城(村上城)があり、積極的に拡張しないまでも、イザというときのために温存していたかもしれません。登り口は複数ありますが、やはりここは山麓居館(二の丸)から登るコースが定石でしょう。ハイキングコースが整備されており、地元のハイカーなどが結構歩いています。

いや、それよりも何よりもこの夕陽の美しさ・・・。

平林城居館部平面図(左)、加護山要害平面図(右)

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要害部へ登り始めてすぐ目に入る城戸跡。この辺はまだ、傾斜も緩く、余裕ですね。 「長辺田(ちょうべだ)の馬洗い」跡。水はありませんが、かつてはここに馬洗いの池があったのでしょう。それを髣髴とさせる湿地になっています。このお城は湧水が非常に豊富です。

要害本丸への道と、狼煙台への道の分岐点にある通称「首切り清水」。刑場跡と言われていますが、それ以上に、山城には不可欠な水の手であったことでしょう。今でも清水が湧き出し、水芭蕉を始めとした湿性植物が生息しています。 狼煙山は、これといった遺構はないものの、さすがに眺望が利きます。正面に写るのは要害主要部、浸食谷に遮られたこの狼煙山は、ある意味、一城別郭構造ともいえます。首切り清水から登るとかなり急なので、物見山から尾根伝いに下りてくる道がオススメです。
狼煙山から見る荒川下流部。傾きかけた陽光が眩しい。 荒川が平野に流れ込む花立集落付近。このすぐ東は奥州伊達領であり、山形県の小国、米沢方面まで狭隘な谷間が続いています
七曲り入り口、ここから本格的な要害部。短い距離ですが、かなり急な傾斜を何度も折れ曲がりながら登っていきます。この標柱の場所はやや平らになっていますが、曲輪跡ではなく、地すべりにより陥没した場所らしいです。 要害最頂部の主郭Tの望楼跡。この部分は周囲より一段高くなっています。天守などというものが無い時代、どんな望楼が上がっていたのでしょうか。
主郭西端を分断する堀切2。おそらく往時はもっと規模が大きかったことでしょう。 主郭西側に段々に削平された腰曲輪。主郭周囲は目視出来る範囲で大別しておよそ四段に削平されています。これもこの地方の山城でよく見られる構造です。

主郭の東端、尾根続きを分断する大土塁と堀切3。まるで信濃のお城のような構造だなぁ。

搦手の尾根を削り残した低い土塁。ちょうど枡形状の形状になっています。

尾根続きには、両側を竪堀とした堀切4が見られますが規模は小さいです。もしかしたら石積みもあったかも知れません。

主郭背後、主郭とほぼ同標高にある「館岩」、山上に巨岩がゴロゴロしています。これらが城郭として機能したのかどうかは何とも言えません。

背後の三ノ輪山が詰城だった?ということで行ってみましたが、城郭遺構は何もなし。「城ではない」ということが分かったことが最大の成果か・・・。

三ノ輪山より加護山要害を見る。城でもない場所を歩いて、随分遠くまで来ちまったぜ・・・。

要害主郭部と物見山を隔てる堀切1。埋まっていますが、竪堀を伴っており、このお城の堀切としてはおそらく一番大きなものでしょう。

主郭の南西に突出した物見山からは荒川下流方面が一望に見渡せます。さあ、いよいよ荘厳なる『夕陽ショー』が始まります!

いやはや、言葉も出ないほど美しい。荒川河口のはるか向こう、日本海に沈んでゆく夕陽の絶景。このあと、薄暗くなった山道を駆け下りるソレガシ。足元が危ないので、あんまり真似しないほうがイイでしょう。。。

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