原爆に消えた大城郭

広島城

ひろしまじょう Hiroshima-Jo

別名:鯉城

広島県広島市中区基町

城の種別 中〜近世平城

築城時期

天正十八(1590)年

築城者

毛利輝元

主要城主

毛利輝元、福島正則、浅野長晟 他

遺構

石垣、水堀、復原天守、復原二ノ丸櫓群

復原天守夜景と堀に映る「逆さ天守」<<2001年4月18日>>

歴史

天正十八(1590)年、毛利輝元が吉田郡山城から太田川のデルタ地帯であるこの地に城を移した。その縄張、プランニングには、秀吉の聚楽第を真似たと言われる。秀吉が自ら築城指揮にも関わったともいう。天守は慶長四(1599)年に完成したが、その翌年の関ヶ原の戦いで西軍に加担した輝元を家康は約に反して長門・萩に転封、尾張清洲より福島正則が49万石で入封。その後、正則は広島城の修復に関連して幕府の陰謀で改易になり、浅野氏が紀伊から入城した。昭和二十(1945)年まで天守は残っていたが原爆で木っ端微塵になった。現在は、昭和三十二(1952)年に複合連立式天守のうち、大天守のみが外観復興されている。平成六(1994)年には二ノ丸表門、太鼓櫓、多聞櫓が復原されている。

ご存知、原爆ドームから程近い場所に広島城はあります。ここには明治以降、大本営が置かれていたため、不幸にも原爆の標的となり、30万人もの人命とともに城も失われました。

現在は二ノ丸、本丸が公園となっていて、復原天守のほか、二ノ丸の櫓群も復原されています。また「縮景園」という藩主の庭園も残されています。三ノ丸や外堀は殆ど市街地化してしまっています。

僕が訪れた直前に中国地方を地震が襲い、天守の鯱は落っこちていました。あちこちで修復工事が行われ、夜のライトアップも中止されていました。それでも天守内の資料館は開館していて、貴重な資料(この手の資料館としては充実している)が見られました。

 

 

 
交通アクセス  
周辺地情報 縮景園は見ておきましょう。広島と言えば原爆ドーム、ですが、なんとなく観光気分で行くのが心苦しくて、結局行っていません。
関連サイト  

 

参考文献 「広島城四百年」(中国新聞社)、「広島城天守閣総合案内」(広島市文化財団)
参考サイト  

 

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