秋川渓谷沿いの風光明媚な街道を西へ向かうと、目の前にいかにも目立つ異様な姿の高峰が現れます。この標高452mの高峰の手前で道は秋川渓谷方面と浅間峠、奥多摩周遊道路方面に分かれますが、かつてはこの浅間峠方面の道が武蔵と甲斐を結ぶ唯一の街道だったそうで、檜原城はその街道を監視する重要な城でした。永禄十一(1568)年に甲相駿三国同盟が破れ、翌永禄十二(1569)年、信玄率いる甲斐軍は小田原城を攻撃しますが、その際にも想定ルートとしてこの檜原城は厳重に守りが固められました。このときは信玄は秋川沿いのルートを取らず、碓氷峠から武蔵中央部を南下するルートで侵攻したため、檜原城は肩透かしを食らう格好となりました。
小田原の役ではたった一日で落城した八王子城の敗残兵を収容し立て籠りますが、衆寡敵せず落城、城主の平山氏重は城下にて自刃しました。この平山氏はこの地の在地土豪であったようですが、北条氏に重く用いられていたらしく、無血開城した城も多い中、一門なみに闘い、そして死んでゆきました。「氏」の文字も、北条氏から与えられたものでしょう。一般に動員軍事力の割には激戦の少なかった、といわれる小田原の役ですが、当時は住む人もまばらで人里からはなれたこの山中では、どんな闘いが演じられていたのでしょうか。
さて、檜原村役場から見上げる檜原城はいかにも峻険で、とくに最高点である向かって左側のピークは「どうやって登るの?」といった感じなのですが、檜原城そのものはこの向かって左のピークよりやや降りた、向かって右の尾根上にあります。尾根の稜線に沿って、堀切や小規模な曲輪を連続させたシンプルな構造ですが、その中でも比較的広い曲輪が二つあり、その間を堀切と土橋で繋いでいます。この堀切の東側の斜面には大きな竪堀があって、屈曲を伴ないながら山麓まで伸びています。しかし、向かって左の最高点にも遺構はあるのではないでしょうか。とくに、甲斐方面への眺望(向かって右の曲輪では眺望ゼロ)の面や、狼煙台としての利用を考えれば、もっとも高く最も峻険な山頂部になにも手をつけないわけがないような気がします。というわけでそちらの峰にもチャレンジしましたが、非常に峻険な上、藪化しているため登頂は断念しました。この南峰は一部が砂利採りのために大きく山体をえぐられており、かなりの遺構が消滅した可能性もあります。
この秋川周辺は非常に景色も良く、都心からも道が空いていれば一時間半程度なので、ドライブコースとしてもオススメです。ただ峠を攻めに向かうバイクが非常に多いため、注意が必要です(それを取り締まるネズミ獲りにも注意)。
|
|
|
|
檜原村本宿の役場前から見上げる。ひぇ〜最近、山城行ってなかったからなあ。これは大変そう。ちなみに城郭遺構は左のピークではなく、右のやや降りた尾根上に展開しています。
|
晴天に汗ばみながら登る。この登山ルートは「十三仏巡拝道」にもなっていて、よく整備されています。あちこちで分岐していますが、だいたい山上の城域に繋がってるようでした(←結構アバウト)。
|
|
|
|
| 山上は比較的大きな平坦地が二つといくつかの腰曲輪があります。解説板の建つこの曲輪がいわゆる二郭にあたるところ。 |
二郭から北側尾根沿いには四段ほどの腰曲輪があります。この先には堀切があるようですが行きませんでした。 |
|
|
| 二つの曲輪を分断する堀切と細い土橋。尾根の鞍部を掘り切って、東側は長大な竪堀に繋がっていました。 |
虚空蔵菩薩像と小さな休憩小屋のある場所が主郭。非常に小さな曲輪です。周囲は急斜面に囲まれています。 |
|
|
| 主郭南側の急な斜面を降りて、最高峰との鞍部を歩くと、岩盤を断ち切った堀切が3条あります。この先の最高部は急峻な上藪化していて、歩くことができませんでした。 |
東側の急斜面に向かって降りてゆく長大な竪堀。自然の浸食で浅くなっていますが、あまり入り組んでいない単純な斜面を守るための施設でしょう。 |
|
|
|
高い山の割に木々に遮られ眺望はイマイチ。樹木の間からわずかに見える本宿集落と、遠く戸倉城方面を見る。 |
平時の居館跡と比定される吉祥寺。ご住職にお願いして車を置かせてもらいました。鬼瓦など、至るところに北条氏の「三ツ鱗」の紋が打ってあります。 |
|
|
| 吉祥寺の土蔵には大きな三ツ鱗が。北条氏ゆかりの地であることを実感。 |
秋川にかかる橋のたもとにある岩舟地蔵尊。最期の城主、平山氏重の妹で、藤橋城の平山光義に嫁いだものの、北条氏への帰属をめぐって対立し実家に送り返された鶴寿姫ゆかりの地蔵。 |
| いやあやっぱり見た目の通り、キツイ山登りでした。やっぱり普段から体を山城に慣らしておかないとね(?)。まあ比高は200mほどですし、藪こぎはないので20分ちょっとですので、ちょっとしたハイキングにもなります。秋川の美しい景色に惹かれつつも次の目的地、戸倉城へ向かう「城馬鹿」の僕でした。 |