仁治年間(1240頃)、小幡氏が竹の内の館を中心に居住していたと思われる。小幡氏は武蔵児玉党の一員で、西上州の主領として勢力を伸ばし、関東管領山内上杉氏の重臣として活躍した。上杉氏亡命後は武田信玄に通じたが、
箕輪城主長野業政が小幡重定を追い払い一族の小幡景定を城主とした。永禄4年(1561)信玄は国峰城を奪い信実(重定)を置いて上州攻略の拠点とした。天正10年(1582)武田氏滅亡後、信実は織田の滝川一益配下となったが、同年小田原の役に出陣し、国峰城には子小幡信秀が守ったが、前田利家率いる藤田信吉に落とされ廃城となった。(現地説明板参照)
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城山頂上案内 |
御殿平 |
東の竪堀 |
堀切脇の石積み |
物見山の堀切 |
外濠 |