あやしい天守だけじゃないぞ

大峰山城

おおみねやまじょう Oomineyama-Jo

別名:大峰城

長野県長野市長野

(大峰城チョウと自然の博物館)

城の種別

山城

築城時期

不明(天文年間?)

築城者

不明(大峰蔵人?)

主要城主

大峰氏(?)

遺構

曲輪、堀切、竪堀、土塁

しっかり残る堀切<<2002年11月07日>>

歴史

詳細な城歴は不明。現地解説板によれば、葛山城主・落合備中守の家臣、大峰蔵人が天文年間初期に築いたという。大峰山城は天文二十二(1553)年からの越後上杉氏・甲斐武田氏の川中島争奪に際し、上杉氏の城砦のひとつとして利用されたが、永禄四(1561)年の第四次川中島合戦後、武田氏の属城になったという。

大峰山城は善光寺の真裏に聳える大峰山(822m)山頂にあり、長野市街地からは「七曲」と称する恐ろしく急な車道が通っており、山頂まで車であがることができます。ちなみに「七曲」はスノーシェッドに覆われて見通しの悪い急坂・急カーブの車道で、ウデに自信のない人は運転するのに冷や汗ものかもしれないです。が、これほどの高山に車で乗り付けられるのは横着者の自分としては大いに助かります。

ここには「大峰城チョウと自然の博物館」の模擬天守風な建物が建っているのですが、この模擬天守、屋根が緑色だったり、下見板張り部分まで白塗りだったりと、意匠もへったくれも無い無国籍なシロモノで、あやしさ抜群。おまけに、比高差が高すぎて麓からでは豆粒のようにしか見えない。。。こうした模擬天守は地域のシンボルや観光資源として企画されるのがほとんどだと思うのですが、麓から見えない模擬天守というのもあまり意味を成していないような。。。。と悪口ばかり書いたものの、ここの展望台から見る善光寺平、川中島の大パノラマは素晴らしいの一言。この景色を見るためだけでも訪れる価値は十分あります。入館料250円が高いか安いかは見方次第、といったところですが、展望台から目の前に広がる甲越直戦の地の広がりを見たときには、一応入ってみてよかった、と思いました。

大峰山城の歴史はいまひとつはっきりしていません。大峰蔵人という者が在城し、上杉氏の前進基地になった云々ということですが、詳しい城歴は不明としか言いようがありません。しかし、謙信が川中島に着陣するときにはこの大峰山城直下の善光寺(およびその寺域内の横山城)に陣取ることが多かったので、上杉軍の川中島作戦に関係があることは間違いないでしょう。遺構面でもそこはかとなく上杉系の匂いが漂います。

実は、あやしい天守の裏手には中世遺構が割合よく残っていて、巨大な堀切から山腹には長く竪堀が延びています。潅木に遮られてよく見えない部分も多いのですが、山腹には多少の連続竪堀もあるようで、前述の長大な竪堀の存在や、連続竪堀の様子をみても上杉氏関連だろう、と思わせるものがあります。しかし曲輪の削平は実に甘く、縄張りも凝ったものではありません。継続的に改修されたらしい痕跡も感じられないので、ごく短期間利用されただけのお城だったのかもしれません。

中世期遺構を見るには多少の藪コギとなりますが、まあ歩けないほどではないので、見たい方はどうぞ。それ以外の方も、眼下に広がる景色は一見の価値がありますよ。

【大峰山城の構造】

大峰山城平面図

※クリックすると拡大します。

大峰山城は善光寺の真裏に聳える大峰山(822m)山頂一帯にある。麓との比高差はおよそ420mほどである。今ではここに「チョウの博物館」の模擬天守風な建物が建っている。このあやしい天守によって城跡はかなり破壊されているのではないかと危惧したが、中世城郭としての大峰山城は比較的よく残っている。峰上の主な曲輪は現在チョウの博物館になっているところを含めて4箇所、現在駐車場となっている平場を曲輪として考えれば、5つほどの曲輪があったことになる。

主郭をどれと見るかは悩ましいところであるが、とりあえず模擬天守の建つ先端のT曲輪と考えてみた。もっとも、博物館附近はあやしい天守造営や駐車場建設などで旧状は大きく変わっているに違いない。この曲輪は実は山頂ではなく、背後のU曲輪以下よりも若干低い。一応峰の先端ということで主郭としたが、違っている可能性も高い。

その背後の曲輪(U曲輪)は両端を大型の堀切1、2で区画されており、ここを主郭と考えてもよさそうだが、いかんせん面積が小さすぎる気がする。V曲輪もまた面積が小さく削平も不十分で、これも主郭とは言い難い。W曲輪は面積も広く削平も十分な上、ほぼ城内の最高所にあたるためこちらを主郭と考えたくなるところであるが、尾根続きの処理が堀5で区切られているのみで、やや中途半端である。この堀5自体、他の堀切に比べて浅い上、どうも鉄塔工事の通路としても使われたようで、城郭遺構に見えない部分もある。こうして見ると消去法で残ったのがT曲輪、ということなのである。

この城全体にいえる事は、縄張りが至極単純であること、削平が非常に甘いこと、その割に堀切・竪堀が大規模であることなどである。極端に言ってしまえば、地山を残したまま、数条の堀切で区画したのみで、それ以外の施設はあとからとってつけた程度のものしかない。堀切から繋がる竪堀の落とし方などを見ると、上杉氏の改修が入っているように思えるのだが、おそらく利用されたのはごく短期間だったであろう。武田氏による改修は無かったであろう。直接的には、善光寺を駐屯基地とする上杉氏の詰の城兼指揮所、もしかしたら善光寺勢力の逃げ込み城としての性格なども持っていたかもしれない。

[2005.01.18]

長野市を見下ろす三名城の揃い踏み。左から旭山城葛山城、大峰山城。 善光寺から見上げる大峰山城。なかなか雄大な山で、あやしい天守は豆粒ほどにしか見えない。拡大!
「チョウと自然の博物館」、展示自体は真面目なものですが、板張り部分まで白塗り、屋根は緑、高欄は赤。。。。窓の位置もヘンテコだぞ・・・。 天守に輪をかけてアヤシイ門。どことなく南国調とでもいうか、無国籍風です。ここまで行くと、素直に楽しくなります(笑)。
いろいろ言ってもこの光景は素晴らしい。旭山城葛山城よりも眺望はこちらの勝ち。それにしても、長野市って結構都会だよなあ・・・。
博物館の中にある、「大峰城完成まで」の解説板。でもこれは「大峰城あやしい天守の完成まで」でしょうが。 その天守の裏手に土塁のような盛り土がありますが、これはもう土塁なのかどうか、よくわからんです。
いよいよ中世期遺構群が!あやしい天守裏手の堀1、いきなりのっけから素晴らしいです。 別にヤブの写真を撮ったわけではない。U曲輪には帯曲輪などもあり、ここはそこそこきちんと造ってあるようです。
また出た、大きな堀切3。このあたりの堀切は道路からでも見えます。 その堀切3から道路側に伸びる竪堀。このお城の堀切は山の両側で長い竪堀になっており、道路の下まで続いています。
粗雑なつくりのV曲輪、というか、ほとんど地山のまんま、両端が土塁になっているかな、という程度です。 形的には一番整っているように見える堀4。このお城の堀切は本当に素晴らしいなあ。

山頂付近にあたるW曲輪。ここが一番主郭らしいのですが、背後の守りが手薄なのが気になるところです。

そのW曲輪裏手の堀5。ここはどうも北東側の鉄塔建設用の通路としていじられているようにも見えます。

 

 

交通アクセス

上信越自動車道「長野」IC、「須坂長野東」ICより車20分。

長野新幹線・しなの鉄道・篠ノ井線・信越本線「長野」駅から徒歩60分またはバス。  

周辺地情報

旭山城葛山城は確実に押さえておきたい。枡形山城が尾根続きにあるというが未攻略。浅川西条の若槻山城も素晴らしいです。

関連サイト

攻城日記の頁、「信濃城攻め紀行」もぜひご覧下さい。

 
参考文献 現地解説板

参考サイト

近江の城郭」、「あやしい城」ほか

 

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