千葉氏の内訌に関与か

寺崎城

てらさきじょう Terasaki-Jo

別名:

千葉県佐倉市寺崎

(密蔵院薬師堂)

城の種別 平山城(丘城)

築城時期

不明(康正元年頃?)

築城者

不明(千葉氏?)

主要城主

不明(千葉氏?)

遺構

土塁(?)、櫓台(?)

櫓台の向こうに沈む夕陽<<2003年03月08日>>

歴史

康正元(1455)年に勃発した千葉氏の内紛で、千葉胤直・胤宣父子は原胤房らに亥鼻城を攻められ、千田荘の多古城志摩城に逃れて立て籠もったが、原胤房、馬加康胤らに攻められて自刃した。この時、胤直の嫡子胤将は各地に逃れ、寺崎に城を築いて居城とした。胤将の子、則胤の時、馬加康胤は寺崎城を攻撃し、則胤は武蔵国に逃れた。これによって康胤は千葉宗家を乗っ取り、本佐倉城を築いて本拠としたという(本佐倉城築城は輔胤、孝胤などの異説あり)。あるいは、宗家を乗っ取った馬加康胤が、亥鼻城が炎上したためこの寺崎城に入った、とも言われる。しかし詳細は不明。

この寺崎城佐倉城からわずか1.5kmほどの台地上にあり、佐倉城付近からもその台地がよく見えます。佐倉城を見学した帰りに、たまたま通りかかった県道の脇に「佐倉市文化財指定 密蔵院薬師堂 寺崎城跡」の大きな看板がヤケに目に付くため、下調べナシでとりあえず行ってみました。

「歴史」に記載した、千葉胤直の嫡子・胤将が立て籠もった云々、という話は、現地の石碑を参考にしましたが、このあたりのお話はホントかどうかはかなり疑問です。ソレガシがよくお世話になっている「千葉氏の一族」によると、胤将は享徳三(1454)年に亥鼻城で病死している、とありますので、その翌年の内紛劇でこの寺崎城に立て籠もった、ということはなかったと思います。また、馬加康胤が入城した云々、という話も、亥鼻城が炎上して千葉氏の本拠のお城がなくなってしまった状態では考えられないことではないですが、康胤は翌康正二(1456)年に幕府追討軍の東常縁によって敗死しており、仮にこの寺崎城にいたとしてもごく短期間であったでしょう。そもそもこの康胤が居住した寺崎城はここではなく、近くの「用替ヶ丘」という場所だ、という話もあり(「日本城郭大系」)、見学してきた場所がほんとにお城なのかどうかも心もとない、というのが正直なところです。このあたりの曖昧さは、千葉氏の内紛から文明年間に本佐倉城が築かれて後期千葉氏の本拠が定まるまでの「空白の期間」の謎が解明されれば、分かることなのかも知れません。

個人的には、遺構ははっきりしないもののその立地条件を考えれば、小規模な城館か、少なくとも印旛沼、高崎川流域を監視する物見・狼煙台程度の機能は持っていたのではないかと推測します。また、のちに千葉氏が鹿島台に佐倉城(鹿島台城)の築城を開始した後の方がこの立地が生きてくる気がするのですが、それに関する記述等が一切無いのも不思議な気がします。

遺構については、密蔵院薬師堂境内および周辺の墓地付近が曲輪であったと想像されますが、明瞭ではありません。土塁らしきもの、櫓台らしきものはありますが、これとて後世の改変の影響も大きいと思われるので、なんとも判断しかねるところです。ただ、夕暮れ間際に行ったこともあって、夕照に照らされたその景色、眺望は素晴らしかったです。かつての湿地帯が残っていたら、湖面に映る夕陽がさぞかし綺麗であったことでしょう。

佐倉城を堪能して、さあ帰ろうと思いきや、あちこちにヤケに眼につくこの看板。陽はまだ高いし、城バカを自称する以上、行かないわけにはいかないでしょう。

遠景。城郭遺構は明瞭ではありませんが、こうしてみるとこの地方に見られる城館の立地条件は、立派に満たしています。

密蔵院境内付近が城址、とはいうものの、正直なところ「これが遺構だ!」と断言できるようなものはありませんでした。

十八世紀初頭のものと推定される薬師堂。佐倉市の文化財に指定されています。

いかにも眺望の良い台地端に築かれた櫓台らしきもの。実際、かなりの眺望が得られます。

その櫓台(推定)からの眺望。かつてはでっかい夕陽がキラキラ輝く印旛沼周辺の湿地帯に沈んでいったことでしょう。今はその名残だけを感じます。

櫓台の上には、小さな祠と寺崎城の沿革を綴った石碑があります。ここに書いていることのどこまでが史実なのか、ソレガシ程度では判断することはできませぬ。

これも土塁?な地形。墓地のほうにもこういう土盛りがあるのですが、これが城郭遺構なのかどうかは不明、どっちかというとそうじゃないような気が・・・。

 

 

交通アクセス

東関東自動車道「佐倉」ICより車10分。

JR総武本線「佐倉」駅徒歩20分。

周辺地情報

近隣では佐倉城が秀逸。佐倉市内では臼井城、近隣市町村では本佐倉城師戸城などがオススメです。

関連サイト

 

 
参考文献 「日本城郭大系」(新人物往来社)、現地石碑

参考サイト

千葉氏の一族房総の城郭余湖くんのホームページ

 

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