雅の都、京都の洛北に、およそ似合わぬ無粋な山城。こんな山城に篭らざるを得なかったところに、足利将軍家のどうしようもない断末魔の叫びが聞こえるようです。
ここは小説「剣豪将軍・義輝」の冒頭に出てくる城で、僕はこの小説でこの城を知りました。細川氏との争いでこの勝軍山城に篭った足利義晴・義輝父子は、結局防戦も敵わぬと見るや、城に火をかけて尾根伝いに坂本に落ち延びました。火をかけたのは、「逃亡路を照らす照明にするため」だったとのことです。なんともはや。。。この時既に、武門の棟梁としての足利幕府の威信は消えてなくなっていたことでしょう。ここから義晴・義輝父子の流浪の生活が始まります。
遺構は、一応はそれらしいものはありますが、もともとが本格築城ではないことと、日没寸前での見学だったため、細かいところまで見れなかったことなどから、詳細は不明です。ブッシュの中にわずかに堀跡らしきものが確認できたことと、土塁らしきものが確認できたくらいです。
よくわからなかったのですが、詩仙堂、狸谷院という有名な(らしい)観光スポットの陰に隠れて、ここまで来る人はまずいないようです。ましてこんな紅葉の時期の京都、わざわざ朽ち果てた山城跡を夕暮れ時にひとりで見に来る奴はそう多くは無いでしょう。が、意外に歴史に何度も登場する城だったようです。前述の「剣豪将軍〜」で印象に残った場面でもあり、遺構はともかく、来たことには満足しました。
このあと、国道1号に出るまでに超大渋滞に巻き込まれ、2kmかそこらの道を抜けるのになんと3時間もかかってしまいました。さすが紅葉の時期の京都は、混みかたも半端じゃないです・・・・。